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自由意思はあるか

人は自由意志もっているかそれとも物理的法則にしたがってあらかじめ予測可能な行動をしているのか,という問題は種々の科学者や哲学者の間で考えられてきた。

神経科学者のベンジャミン・リベットは,人のアウェアネス(意識、気づきといった意味)の発生に時間的要因が関わっているとした。リベットは,感覚刺激に気付くには刺激を与えられてから0.5秒程度の時間が必要だということを実験で示した。その間刺激は提示し続ける必要があるという。もし,刺激が0.1秒ないし0.2秒で消失した場合,被験者はその刺激には気づかない。しかし,その場合でも,刺激があったかなかったかという判断をあえて求められると,被験者は正しく判断できるという。刺激に気づかなくても刺激の存在を無意識的に検出することは不可能ではない。これは盲視の現象にも表れている。視覚を担う脳部位が損傷し視覚機能が失われても,何かを見せられたときに,そのものの方向を正しく指し示すことができることがわかっている。

また,リベットは行動する意志に対するアウェアネスはその行動する0.5秒前にある特徴的な電位が発生することを発見し,その意志に自分が気付くのには電位発生後約0.4秒が必要であることを実験的に示した。つまり,人は行動する0.5秒前には無自覚に行動プロセスを起動していることになる。

たとえば,何かをしようとして忘れてしまったということはほとんどの人が経験していることである。それはよく考えると不思議なことで,何をしようとしていたか分からない(忘却した)のにも関わらず,何かをしようとしていたということは自覚(想起)している状態である。この現象は,行動前の電位発生から0.5秒がたつ前に,他の行動電位に前の行動のアウェアネスが妨害されるために起こるのかもしれない。

リベットの研究から,無意識レベルの処理から行動が駆動されていることが分かったが,人の感覚としては自らの意志に従って行動していると考える人がほとんどであろう。つまり,脳の処理と行動の関係からいえば自由意思はないが,感覚としてはそれはある気がしている。自由意思は幻想であると言えるかもしれない。ただ人間は,その幻想をほとんど矛盾を感じることなくみることができるということも事実だ。

参考文献:ベンジャミン・リベット, 下條信輔 訳 (2005):マインドタイム 脳と意識の時間
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海抜0m-3775m

8/26-28、海抜0mから富士山頂を目指そう、ということで新蒲原駅に26日12時集合、海まで歩いてスタート地点へ。初日は約16km歩き、メンバーの一人の富士宮にある家に泊めてもらった。その日歩いた全員が靴擦れなどで足のどこかしらを痛めていた。

2日目、朝4時30分から歩き始め、3時間くらい歩いたら富士山のふもとまで着いた。そこから樹海の古道を通って6合目まで到達するのが2日目の目標。あまり整備されていない険しい山道だったけど自然の美しさを感じながら歩くことができた。古道の後半からかなりへばる女の子が出てきて、元気な男の間で、交代でその子の荷物を持ってあげた。約9時間で古道から富士宮5合目に到着。まるで頂を制したような達成感と疲労感。5合目で待っていた5人にも会え、これでメンバーは9人に一気に増えた。6合目まであと一息! ここでゆっくり夕飯を食べた。5合目から6合目まではほんの20分たらずで着くことが出来た。その日はそこにある山小屋に泊まった。山では妙にお腹が空く、お菓子とクリームパンを寝る前に食べた。

3日目も4時半スタート。メンバーの9人は山の経験や体力などは当然全然違って、体力のある人があらかじめ荷物を多く持ち、体力のない人に合わせてゆっくり進んでいった。そして午前11時前には登頂に成功。自分にとっては2回目の登頂で、前回は「関西の学生たち100人で登ろう!」みたいな企画で初対面の人ばっかりと登ったっけ。今回も大半は初対面で自分にとって富士山は出会いの場としても機能している。色んなバックグラウンドをもった人と出会える場はエキサイティングで楽しい。充実した登山だった。

富士山の5合目以降は岩と砂の世界で殺風景な気がするけど、山から見る雲海の美しさは他の日本の山にはなかなかないのかもしれない。ある程度独立してたっている山だからかな。
最近2ヶ月は月2山ペースで登っているけど、今月はおやすみ。来月にはまた登る予定。

脳とテクノロジー

テクノロジーの発展と脳構造の変化はとても関係が深い。脳構造の変化は当然、人の思考・行動を変化させる。
話し言葉だけであった世界から、文字が開発されると、本が出版されるようになった。本を読むことによって、人は私的で深い思考をするようになったといわれる。一方で、文字によって書き留めておけることから内的に覚えておくという記憶力を犠牲にした。このようにテクノロジーの発展は、人の一部の認知能力を高めるとともに一部の機能を犠牲にする。

では、ネットの普及は脳に何をもたらしたか。
教育者の間では、ネットを活用することで、よりよい教育を行えると信じられていた。すなわち、教育的テキストにリンクを張ることで、さまざまな視点から主題を理解することができ、知識のより確かな定着と推論能力の発達に効果があると。しかし、結果は全く異なるものであった。ハイパーテキストを利用して学習した子どもたちは、何の学習をしていたかほとんど覚えていなかったのである。これまで通りの教科書を読んだほうがはるかに理解がよかった。

別の実験では、まず被験者はある講義を聴くが、その間コンピュータを使って講義に関する検索をしていいグループと、使ってはいけないグループがあった。その後、講義の理解度をテストしたところ、コンピュータを使ったグループのほうが成績が悪かった。

 ネットは色んな種類の情報を浅く広く得るにはよいが、一つの事柄の深い知識の定着には向かないのかもしれない。その原因は、ネットがパラレルに様々な情報を供給してくれるという特徴にある。それは注意散漫を助長させる。文字からの情報を理解し記憶するには集中力が必要で、文字が形作る世界にある程度没頭する必要があるのだ。

ネットに親しむにつれて、近頃なんか注意散漫、直線的に情報を放り込んでくる本を10分以上落ち着いて読んでられない、なんてことが起こることは十分考えられる。

参考文献:ネット・バカ(2010)青士社

山へ柴刈りに行きました

 年3回のワークキャンプで世話になっている受け入れ先の七里さんのところに、今回はプライベートで行って、山の管理に関する手伝いをした。
 七里さん宅近くの林に入っていき、余計な木を切って、後で使うために集めておくっていうのが活動内容。人の手が入ってない林は、木が密集しすぎて、光がよくあたらず風通りが悪い。土も痩せ、天然のダムの役割も十分に果たさない。

 どの木を切っていいか最初はわからない。どの木が多くの木の生育を邪魔したり、将来性がなかったりするか、自分の感覚で判断し、伐採していく。「自分がハイキングコース作るとしたらどの木をきるか考えて」ていう七里さんのアドヴァイスを思い出しながら。
 活動終了30分前になると余分な木がなくなって、辺りはかなりすっきりした。意外と楽しい。「これ使わせてげる」と七里さんからチェーンソーを受け取った。最初は怖かった。何かの弾みで、歯に自分の手が触れたら、七里さんにチェーンソーを振りかざしてしまったら…。邪魔な妄想が止まらない。
 エンジンかけて、スイッチオンして準備完了。レバーを押して歯が回転するのを確認してから、木に接触させる。なかなか歯が進まない。「もっと切る面におしつけろ!」という声が、チェーンソーのエンジン音に隠れてかすかに聞こえる。ぐぃ、と腕に力を入れると、大量のおがくずが前後に飛び散る。10分くらいで杉の木一本が倒れた。その後しばらくは、機械の振動の感覚が手に残っていた。

 米は平地で形の良い田んぼで、田植えも稲刈りも機械でやるのが主流になっているけど、山の中腹で不安定な水の入り方で、機械が入れない、いびつな形の田んぼで多くの人が米を作っていた時もある。生産性だけに目がいくと必然的に人は山を下りて平地で米を作るし農薬も使う。だけど、それによって、田んぼ自体が山で果たしてきたダムのような役割と、人が山を管理するということが無くなってしまった。農薬が体にどんな影響を与えるかも定かではない。イギリスやフランスみたいに、有機栽培の米や野菜を作る人達が尊敬されて、商品の価値がとても高く評価されるような仕組みが日本にはないから、かずさんみたいに非効率だが、自然のサイクルに適った農業をしている人はごく少数に限られてしまっている。

IMGP3150.jpg

とてつもなく可塑的な脳

「枝と伝達物質、見事に橋を架けられたギャップを備えたわれわれの神経系は、思考それ自体の予測不可能性を反映するかのような、即興的特質を持っている。それは、われわれの経験とともに変化する、つかの間の空間である」(マイケル・グリーンバーグ,2008年)

 30年ほど前から,行動や思考のありようで脳内ニューロンの配線が柔軟に変化することが言われている。たとえば,右利きのヴァイオリン奏者の左手(弦を押さえる手)からの信号を受け取る脳領野は,ヴァイオリン経験のない人のそれよりもはるかに大きいことが示された研究がある。大人になってからヴァイオリンを弾き始めた人にもその傾向がみられた。脳は一生,それも何度でも,プログラムを変化させるのである。

 上記のような脳の可塑性の事実は,脳の損傷で苦しむ人や,精神的病に苦しむ人に希望を与えた。脳が柔軟に変化するのは幼い時だけ,または初めからかっちりと配線されていると言われていた時には,人の性質は不変的であるという考えが主流であったのだ。
 しかし,脳の可塑性は質のよい行動・思考を獲得していくことを保証するものではない。頻繁に行なわれる行動・思考がよりやりやすくなるという方向でプログラムが組まれるということで,質ないし価値とは関係なくそれは実行されるということを留意する必要がある。


参考文献:ニコラス・G・カー(2010).ネットバカ 青土社
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Author:ヤス
1987年岐阜県生まれ。ポジティブ、楽観的すぎるのがたまに傷。大学院修士課程では心理学を専攻。

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